見えてきた「謎の肺炎」~SARS感染地に入って~

大利 昌久

はじめに

肺炎の情報は、意外なところから入った。平成15年1月24日、日本人の重症劇症肝炎(55歳)をチャーター便で大連から関空に運んだ時だった。「先生、広東省で肺炎が流行しているよ。」上海から来た中国人看護婦呈さんの話である。その時は、インフルエンザだと思い、気にもしていなかった。
3月、日本医師会で「海外旅行と感染症」のシンポジストとなったことで、感染症危機管理室の先生方と親しく話す機会があった。当初、「対岸の火」と思われた肺炎だが、WHOが異例の警告を流した。それと同時に、感染症危機管理室の先生方は動き始めていた。今や彼らはSARSの陣頭指揮をとっている。

SARSとの関わり

3月24日、香港からの緊急医療相談が入った。「5歳男児が、肺炎の症状にて、クイーン・メアリー病院に入院。ステロイド、リバビリン療法を受け、人工呼吸も実施中」とのことだった。日本に帰ることを希望したが、そのまま現地で治療を続ける旨の指示を出した。理由としては、
  1. 肺炎なので、移動が難しい。
  2. SARSだと、日本での治療経験がない。
  3. 今の段階で、日本の受け入れ態勢は難しい。
の3点をあげた。
この頃、3月21日前後、香港の大団地アモイガーデンは、「高熱に呼吸困難」を伴う住民の爆発的な流行に、恐怖の街と化していた。

講演

感染症の専門家が、SARSに追われているため、現役は多忙。とうとう退役軍人(?)の私が担ぎ出され、あちこちで講演を頼まれた。
4月2日、中国全域で活躍する医療支援サービス会社Wを皮切りに、4月6日に長崎県小児科医会、4月18日に東京商工会議所、そして4月23日~25日、上海・北京日本人会、5月13日~15日に香港日本人クラブ。6月に青島・大連日本人会の予定が入っている。私の役割は、SARSを正しく理解してもらうこと。最新の情報をお知らせすること。予防対策の実際を教えること、パニックに陥らないように指導することが目的だった。多くの質問があり、むしろ私自身の勉強にもなった。
北京では、中日友好病院、香港では最初の感染源となったメトロ・ポール・ホテル、院内感染を引き起こしたプリンス・オブ・ウェールズ病院、集団感染がおこったアモイガーデンを視察する機会を得た。

アモイガーデン

300人以上の感染者を出したアモイガーデン。そびえ立つような高層マンションが19棟林立。1棟に約1,000人が住んでいる大団地である。マンションの入口付近の1階には、マクドナルド、吉野家が出店していて、5月15日に開店していた。その他はいまだ閉店が多かった。E棟玄関には、守衛がいて、私を雑誌記者と間違えたのか、多くのことを教えてくれた。
4月17日、香港衛生福利・食物局は、アモイガーデンで321人がSARSに感染したのは、下水管に原因があったと発表。下水管は、高層マンションの外側に上から下に走っていた。この下水管の不備で、浴室に侵入したウィルスを含む飛沫(糞沫)が、換気扇に吸い上げられ、団地内に拡散したという見方が有力である。WHOも翌18日、同様の意見を述べた。
感染源となった男性(33歳)は、院内感染をおこしたプリンス・オブ・ウェールズ病院の患者だった。3月14日および19日の2回、弟の住むアモイガーデンを訪問したのだ。彼は下痢をしていた。咳やくしゃみによる感染よりも、下痢に含まれていたウィルスの方が感染力が強く、ウィルス量も多かったと推測される。そのため、アモイガーデンの感染者は、他の地区の感染者に比べ、急速に発病者を出し、重症が多かった。事実、アモイガーデンの感染者の20%は、集中治療室で人工呼吸器を装着した。しかも、66%の人は下痢をしていたという。126人が感染し、12人が死亡(4月23日)したカナダでも、約50%の人が下痢をしていたという。他の地から運ばれた感染者は、集中治療室にかかるのは10%、下痢は2~7%に過ぎない。
E棟にはいると、すぐに狭いエレベーターがあり、33階建各階に8戸の住居があった。各棟からの下水は、8本の下水縦管で集められていた。この下水縦管は、トイレや風呂などの排水口とU字管を使って接続。このU字管は通常、悪臭や害虫を防止する管で、水をためてあるそうだ。
香港の保健当局の資料では、①このU字管に水がなく干上がっていた。②以前からトイレで悪臭がすると住人が苦情を訴えていた。この2点から、U字管の不備が感染を誘発した大きな原因だったと思われる。WHOは、5月16日、九竜地区のマンション街「アモイガーデン」で発生した集団感染は、浴室の換気扇と窓を通じてウィルスを含んだ汚水が拡散し、集団感染を招いたとする調査結果を発表した。

香港が感染の舞台

感染の広がりは、意外なことから始まった。広東省広州市の中山第8病院で肺炎の治療にあたっていた64歳の教授が、自ら感染していることを知らずに旅行。香港のメトロ・ポールホテルに2月21日に宿泊。症状が悪化した教授の咳、嘔吐物などの排泄物はトイレの部屋の床に飛散したものと思われる。ホテル従業員は、このトイレを清掃した後、同じ器具で別室を清掃。そこに宿泊していたシンガポール人、カナダ人、ベトナム人に感染したらしい。彼らが母国に持ち帰り、海外への拡大を広めた。また、同じホテルで感染した中国人(26歳)が、プリンス・オブ・ウェールズ病院に入院。院内感染の感染源となった。さらに同病院で人工透析中の男性中国人が、スーパー・スプレッダーとなり、世界中に感染拡大を引き起こしたことになる。まさに世にも稀なる感染症の始まりだった。
なお、北京市での爆発的な流行も誰がスーパー・スプレッダーだったのか、そのうち解明されるだろう。

肺炎発祥地を振り返る

肺炎発祥地、広東省仏山市は、中都市である。1999年、海外邦人医療基金の仕事で、中国南部の医療事情を調査した。当時、この仏山市でコレラが流行。このため、サシミ禁止令が出て、美味しい日本料理を食いそびれた恨みがある。
仏山市は、養豚場が多く、豚ばかりでなく、ニワトリ、アヒルなども同じ家屋で飼っている人が多い。家屋内は、残飯、汚物が散乱し、異常な臭いがした。人と同居することから、いろいろな感染症が出るのは不思議ではない。
広東省は「食の広州」ともいわれ、食材にあふれた都市だ。市場に入ると、ニワトリ、アヒル、ハト、野鳥、カエル、ウサギ、ネズミ、蛇、リス、タヌキ、犬が売られていた。しかも、中国原産ではないと思われるジャコウネコ、アルマジロまで路上で売られているのが目に付いた。それこそ2002年11月、発病し死亡した20歳の男性は、生肉を扱う野性鳥獣料理店(野味店)のコックだったのだ。これらの動物が持つウィルスをもらってもおかしくない風土があるといえる。
ジャーナリストのリチャード・ジョンズの広州市の生肉マーケットの手記。「とある露店のオーナー、チェン。手は傷だらけ。よくリス、ジャコウネコに咬まれる」という。「酷く咬まれると医者にいって注射してもらう。注射しに行かないと病気になる人もいる」という記事が目に付いた。これこそ、今回の動物から人へのSARS感染を暗示するものではないかという気がするのだ。

おわりに

日本は今のところ安全地域だが油断はできない。1人のスーパー・スプレッダーが大きな感染を引き起こす感染症である。当地域といえども、安心は禁物。
最近になって、SARSウィルスの概要、感染源が分かってきた。どうやら「謎の肺炎」も先が見えてきた気がする。

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